土木施工管理技士(現場監督)になるまでの日記

現場監督になるまでの日々の歩みです。

現場監督の会社へ入社しました。

新しい会社の人達と顔合わせをしてホットしました。

 

やっと以前の空港関係の仕事をやめて、いざ現場監督の会社へ。

 

朝6時に起床し、慣れない会社の制服に袖を通し、いざ会社に。

 

会社に向かう道中でどんな人が働いているかなぁー とか 会社に溶け込めるかなぁーとか思いながら向かってましたね。

 新しい環境って不安でしかないですよね。 私は緊張するとお腹が痛くなるタイプなので、会社に向かう途中2回トイレによりました。まーよく出るとなと思いながら車を走らせ会社へGO!!

 

そんなこんなで、新しい会社に到着して、会社の方々に挨拶する為、事務所へ行き恐る

遅る事務所に入ると  新しい会社の人たちが全員いて、おはようがざいます。今日からお世話になる〇〇です!と挨拶すると、皆さんが予想以上にフレンドリーな感じで接してくれて凄いホットしましたね。よかったよかったと思いながらすぐ初めての現場へ。

 

  初めての現場では、川の土砂撤去みたいな作業でした。

現場監督の会社といっても、現場監督もやるし、作業も自社でやる会社のスタイルだったので、初めは作業員から現場を覚えようって感じで、スタートしました。

 

 作業内容は年々たまった土で川が狭くなってしまっていて、その溜まった土を取り、川を広くするという流れの作業でした。作業が終わるのが2週間かかるらしく、今日の作業は土を取る為の重機やダンプの作業走行路確保の為、敷鉄板を引く作業をやりました。

 

長い鉄板を敷いていって土の場所でもダンプなどが走れるようにする為らしく、ひたすら自社の人(会社を紹介してくれた友達)がユンボに乗り、自分が手元の作業をするみたいな感じで、作業をしましたね。

 

ただ敷鉄板を敷いていくって簡単じゃん、と思いながら作業してましたけど、実際、鉄板の歪みをみて、その歪みに合わせた置き方だったり、鉄板の仮置きの為の置き方とか色々気にすることがあり、結構最初は大変でした(汗)

 

その現場には、他の会社の人もいて、その人は明らかに怖そうな人で、敷鉄板を敷く作業を、その怖そうな人とやる時があり、案の定、敷鉄板に掛ける吊り具の掛け方が違うと罵声を浴びせられましたね  まー最初はつらいなーとか  若いのって辛いなーとか思いながら、その一日は終わりましたね。

1日を振り返ると、新しい会社の人は、皆優しそうな感じでよかったな~とか、実際関わるとめんどくさいのかな~とか色々思うところはありましたけど、ヤンキーでゴリゴリな人がいなくてよかったと思ったのが一番でした(笑)

 

また明日も頑張ろうと思います。

 

 

 

 

 

 

現場監督の会社へ転職

いざ前職をやめて現場監督の会社へと転職。実際辞めるのって大変でした。心の面で。

以前友人とご飯に行ったときに決意した転職。

 

いざ会社を辞める時って勇気いりますよね(汗)

 

なんか情が出で来るとゆうか、自分が辞めたら他の人に迷惑がかかってしまうとか、

まぁーその情っていゆうのが日本人の良いところでもあり、悪いところだと自分は思います。可愛い後輩が悲しむなーとか 私が居なくなって大丈夫かなーとか 

 

その情のせいでこのままだと辞められないと思った私は、辞める前に次の転職先を決めてしまおうと思いましたね。そしたら辞めるしかないですもんね。 

これわ 名案!! 普通か!!(笑)

 

そんなこんなで、次の転職予定先、友達が働いている現場監督の会社に電話をし、面接をしてもらう事に、面接って緊張しますよね(汗)

慣れないスーツに袖を通し、頭髪にジェルを塗り込みいざ面接へ、緊張しすぎてあんまり当時の面接内容とかは、覚えてないんですけどね。

 

後日結果をお伝えしますとのことで、数日結果を待っていたところ、合格通知の書類が届きました。

 

そうなると今まで勤めていた空港関係の仕事場に退職届けをだすって行きたいところですけど、それを上司に言うのが気まずいんですよね(汗)

 

今日辞める宣告を上司にすると決めて、朝、家を出ていき2週間ぐらい繰り返しましたね。 その朝の決意を。 

 

このままでは、次の転職先に迷惑がかかると思い、やっと言えました。

上司はまさか私が、辞めるとは思わなかったのか、鳩が豆鉄砲を食ったような感じでしたね。

 

でも言えてよかったー  言ってしまえば、なんでこんなに言うのを躊躇っていたんだと思うくらい、上司も今までと変わらず日々接してくれましたね。

 

心残りは後輩が私がやめると言って泣いてくれたことかな。可愛いーと思いながら昔の思い出や、次の転職先への期待や不安を思いながら残りの空港での勤務の生活をしていた20代中盤の私がいました。

 

 

 

 

 

 

 

現場監督を知ったきっかけ

友人が私を現場監督の世界へ

 

前職でまだ働いていて転職を考え始めた時まず思ったことわ。 

 

やりたいことがない、、、。

 

まずそこですよね。これって難しいですよね。高校時代に色々考えておくべきだったと後悔しかない。〇ラエモンがいたらその当時の私に叱ってやるのに、、、と、つまらない事を思いながら、変わらず空港関係の仕事をする日々を送っていました。

 

休日に友人とご飯に行く機会があり、ご飯を食べながら友人3人と将来について熱く語りあっていました。一人は消防士、もう一人は土木の現場監督、もう一人は自宅警備員でした。

 

皆なりたい仕事できていいなぁーと思い、劣等感を感じながら話を聞いていました。

唯一の救いが自宅警備員がいたことかな。

でもその自宅警備員も、家で好きなゲームをしながら将来ゲーム実況のユーチューバーになるとか、なんか好きなことできていいなぁーと思いましたね。

 

その食事の話の中で、現場監督をやっている友人に仕事内容などの話を聞いている内に現場監督の仕事に興味がでてきました。

 

まず土木の現場監督なんてあるの知りませんでしたらからね(汗)なんか職人さんの親方が現場の管理とかしてるのかなとか思ってました。

 

話を聞いていると、仕事の内容が、道路とか、下水道の菅とかを設置するのが主らしく、道路の勾配を確保する為の設計だとか、工事の段取り、等々なんか大変そうだなとおもいつつ、でも逆に自分自身のスキルアップするのに凄いいいなと思ったので、自分もなろうと思いました。一番は手に職をつけられる事かな。

 

そこで、その友達と将来独立しようぜ とか どんどん夢が膨らみ楽しくなってきて、

 

現場監督の道へと踏み出そうときめた20代中盤でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

現場監督になろうとした理由。

前職で疲労骨折をしてしまい、仕事選びの重要性を考えさせられた。

 

私は、高校を卒業後、空港関係の仕事に就職しました。

 

なぜ空港関係の仕事に就いたかというと。一番家から近く安定してそうだな...

 そんな単純な理由でした。

 

結構私と同じ理由で仕事決める人多いと思いますけど?

 私だけかな? 

 

まーそんな感じで空港関係の仕事に就職して飛行機カッコイイナーとか、有名人いないかなーとか、鼻水垂らしながら毎日を過ごしていて5年もした頃

 

腰を疲労骨折しちゃいました。(汗)いやーマジ痛かった(泣) 屁もできないくない(汗)空港関係の仕事は、職種によると思いますけど、私が仕事をしていた職種はきつかったですね。

 

痛すぎて整形外科に行き、診察してもらうと、第五腰椎分離症?そんな名前で、第五腰椎を支えている二つの骨が折れて無い状態らしく、整形外科の担当の先生にこれって二つの骨くっ付くんですか?治るんですか?と聞いたところ   ん?  治らないよってあっさっり言われました。

 

あっさり言うなーと思いながら診察を聞いていると、腹筋と背筋を鍛えていれば筋肉で腰椎を支えることができるらしく、そのうち痛みが引くから問題なしと言われました。まー疲労骨折なのに問題ないの?とか思いながら、痛みが引けがいいやと思いました。

 

そんな事から、このまま疲労骨折するような仕事をずっと続けていても30歳40歳になった時、腰が使い物にならなくなり、そこから他の仕事に転職するとなっても空港以外の仕事で活かせるスキルが身につくような仕事内容でもなかったので、その時から初めて仕事選びの重要性を真剣に考えるようになりました。

 

不動産で仕事をしていればもっと視野が広がっていたかなー とか パソコン関係の仕事ならもっと自分の為になったなーとか、、、

 

高校の時の将来について何も考えてない自分に言ってあげたいなと思っていた今日この頃です。